これで最後かな、退職祝いは

28日、極東石油(kpi)の組合執行部から定年祝いをしてもらった。嬉しかった。ただし、飲み会続きと時差ぼけ残渣で眠くてならず、ブワッとは陽気にはなれなかった。これは私の問題。

私が専従20年で誇れるのは中央石油とkpiの組合を作ったこと。もしこれがなかったら、一生懸命やったんだけど漫然と過ごしてしまったと悔やむに違いない。

全石油ゼネラル石油労働組合(ou)は、周囲から戦闘的な革命的な組合と見られている。事実、ある時期までは実態はともかく政治的に背伸びをした。しかし、労働組合である限りいろいろの奴がおり、それを束ねながら活動する。そして組合である限り、基本は職場の労務管理との抗争や労働条件改善。

ouには小野木・横山という、それはたいした奴がおり、彼らが組合を作り、そしてコンビナート争議を指導した。偉いのは敗北したあとだ。負け戦から建て直し、長期抵抗に徹し労使和解=争議終了に至った。

私は組合が抵抗中に入社し、その組合に入った。だから、いわば第二陣である。2番目というのは難しい。赤いレッテルのままいくのが気楽だが、先はない。つまり新入社員をはじめわが組合に加入してくれる奇特な方がいないので、ジリ貧になる。どうやったら多数になるのか、あるいは皆の関心をひきつける存在になるのか・・・・・・・・・・・私の専従期間とは、これまでとの軌道修正をしてきたといってもいい。しかし、一回ついたレッテルは取れるものではない。だから少数組合の最終局面にある。これは仕方がない。

もうひとつは、企業を超えた組合作りをまじめに模索した。そして、これは失敗もあったが、成功した。
組合作りは、条件がそろわないことにはできない。特に、首を覚悟の「首謀者」がおり、その人の仁徳が勝負だ。私はいわば触媒でしかない。奇跡のようなところがある。

地震で無傷のタンクなし
飲みながら3・11地震の話を聞いた。
1キロも離れていないコスモのLPG球形タンク爆発、買電停止による運転停止作業・・・計器室の照明が消えた中での作業とは聞いていたが、液状化がどの程度かは初めて知った。
・パイプラックが50cm沈んで、その上にのっかかっている配管がたわんでいる
・タンクは多くの液面計が壊れ、ポンツーン(屋根の浮き輪)、あるいは屋根本体の破損でまともなものはない。操油の工事担当者は休めない状態。

ou機関紙に派毎月、KPi通信を載せているが・・・・・・・4月号は「随分手抜きをしたね。春闘まだ、だけの愛想がない文章だった。人に伝える文を書けよ」と私。こういうことは、震災で常識になっていることを聞き出さないことには発信されないようだ。

田植えが終わっていた
木更津周辺の田んぼはすでに田植えが終わっていた。もう春だ。津波被害にあった東北では田植えが出来ないところもある。無念だろう。

KPiの仲間の飲み会には、飲酒運転で謹慎中の組合員から高級なお酒をいただいた。その夜は会社の独身寮に泊まり、朝、その一升瓶を抱え東京の我が家に帰った。

ハワイの写真
023マウナケア途中のオニヅカ記念館で。後ろが丘のようなマウナロア
025マウナケア山頂へ。夕方日没間際。4200メートル
026マウナケア日没。展望台が見える
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