松島の牡蠣業者支援

14日夜に仙台に入り、15,16と東松島の牡蠣養殖業者の支援活動をしてきた。
組合で呼びかけ、沖縄の南西労組の1人を加え7人が参加した。
2011年3月の東日本大震災で東北地方の太平洋側は壊滅的な打撃を受けた。松島の牡蠣養殖業者の多くもすべてを失なった。どこから手を付けていいかわからない喪失感。そんな中で、再建支援を求める長石商店のことを知り、私を含め組合員何人かが支援のお金を送った。

昨年は海水温が高く、牡蠣の収穫ができなかった。今年ようやく収穫でき、支援者への返礼として生ガキを送っている。その手間が結構大変なので、その発送作業を支援してくれとの要請があった。
ということで、今回は発送作業の手伝いと、現地視察を兼ねてのボランテイア活動だ。

15日はあまり仕事がなくて、50個ほどのクール宅急便の箱詰めをした。
午前中で終わり、あとは石巻の方を見て回った。直後のような道路寸断はなく、高台に住居造成が始まってはいたが、海岸近くの被災地はどこも雑草で荒れていた。護岸は沈下したまま。漁民がもとのように戻れない現実。なかなか復興には遠いことを感じた。
大川小学校の石碑には児童たち80人の名が書き込まれていた。改めて涙が出た。
修理費は返せるときでいいからと、漁船を修理している人にも会った。まだ誰からも金は返ってこないさ、と言いながらもアーク溶接を黙々とやっている様子には頭が下がった。

16日は、発送作業ではなく、ホタテガイの殻を35枚鉄線に通す作業をした。
貝殻には牡蠣の赤ちゃんがついており、広島の方へ種牡蠣として出荷する。貝と貝の間にはプラスチックの筒をいれ、35枚で1セットにするのだが、筒を入れ忘れたらだめ。仕上げてからミスに気づき、何度かやり直した。集中しないと失敗する。とても話をしながらという訳にはいかなかった。

長石、ボランテイア
種牡蠣は広島に送られ、筏で海で育つ。1年すると広島ガキとなる。松島が日本の牡蠣養殖を担っているという。
新設した牡蠣工場の周辺は、草ぼうぼうの荒れ地だし、田んぼが沈下し内海になったままだ。

松島ボランテイア
ここは松島湾の最も北側で、牡蠣の養殖地でもある。護岸は黒いピニールの土嚢で養生されている。

地震・津波から2年半がたち、仙台は以前の大都会に戻ったが、海岸部は手つかずというところだ。牡蠣業者を応援でき、それが励みになれたなら良かったと実感できた。

仙台でこうした支援を組織している東北全労協事務局長の亀谷さんからは、大川小学校のことやガソリンがなくて困った状況などの経験談を聞いた。その貴重な話をOUの機関紙に載せることをお願いした。あわせて、被災者の現在の苦境についても書いてくれと頼んだ。来月から連載できればいい。

秋保温泉では、紅葉を見ながら露天風呂。結構でございました。

さてここからは保養
仙台でっ乾杯
ボランテイアを終えて、夜は上さんと仙台の歌声喫茶「バラライカ」へ行った。店主がアコーデイオンやピアノで生演奏。常連さんらしいロシア民謡を歌う人たちのうまさにびくびくしながらも、長渕の「乾杯」を歌った。

翌17日は芭蕉『岩にしみいるセミの声」の、山寺に行った。あいにくの霧であった。
そして夕方には家に着いた。
立石寺2

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和田 伸夫

Author:和田 伸夫
全石油ゼネラル石油労働組合の事務局長をしています。
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