エドワード神父のこと

川崎浅田カソリック教会のエドワード・ブジョトフスキー神父が、フランスに戻っており、アルツファイマーだか認知症を患っている、という。私のブログへの返信で未知の方が知らせてくれた。エドワードさんはポーランド系フランス人でもう80才くらい。その半分以上の50年近くを日本で暮らした。

浅田教会には30年前、社宅が鶴見にあり、会社の帰りに寄った。当時、三里塚農民が無農薬野菜を作り、それを買うことで空港反対闘争を支援する運動があった。教会がその集積場だった。エドワード、アンドレ、マクシムという3人のフランス人のイエズス会神父がいた。アンドレさんは労働司祭といって、労働現場に入って布教をする活動家。労災にもあった。
エドワードさんはこの中で長老だった。日本鋼管(現在のJFE)の工場が近くにあり、喘息を患い川崎公害病訴訟の原告団でもあった。

私はキリスト教信者でないが、貧しき者、抑圧された者への彼らの眼差しには共感した。
チリだかアルゼンチンだか忘れたが、右翼政府によって弾圧されている人々を救いたまえ、神よ!そういうミサに行ったことがある。信者が次々と「この悲劇に対し何も出来ない私を、神よお許しください」そんなことを言っていた。それは感動的だった。

横浜から東京に移って、教会とも縁遠くなった。アンドレさんはフランスに戻り、マクシムさんは相模原の教会に移り、ひとりエドワードさんが浅田に残った。
エドワードさんには国会前のイラク戦争参加反対の集会や、横浜のメーデーで会う程度だった。2m近い巨人で気さくな人。
5年程前には、浅田教会がぶっ壊れそうで改修するので寄付を募ると手紙が来た。送金したが、1年後に聞いたら、金の集まりが少なく、建て替えは出来ないと小さくなって弁解まがしくいっていた。

それが最後になった。病気で、今では自分の意見を言えなくなった。歳をとるっていうのはそういうことだね。あなたはりっぱに生きたよ。



今日は久しぶりに高尾を5時間ハイキングした。もう春山の雰囲気だった。
下りの稲荷山コースでは、青葉をつけた枝がやけに落ちていた。子供たちが悪戯して棒ではらったのだろう、と思った。でも、それにしては枝が落ち続けていた。そのうちに犯人がわかった。ナイフで枝を切っていた。60才くらいの男。
とっさに出た言葉は、「あなた、緑の保安官ですか」。違う、邪魔だから切ったという。「それはまずいんじゃないですか」といって、そそくさと立ち去った。だってナイフを持っているし、怖いもの。
本人はボランテイアのつもりかもしれないが、アオキなど、ごっそり切られていた。アオキが嫌いなんだろうか。こういう人は、高尾に来てほしくないな。
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コメント

「宗教はアヘン」

 1980年代、紋押捺拒否がブームの頃。
私は「西洋人の宣教師・神父・牧師達が、押捺拒否を
するのは、彼等の人権意識が高いからかなー?」と
疑問を持ちました。
彼等が出席する集会へ数多く参加しました。
そして、彼等の発言を聞き・分かりました。
「日本社会では、朝鮮人が指紋押捺拒否をすると、十字砲火を浴びる。
その朝鮮人を守るために。押捺を拒否して、朝鮮人の盾になろう」。
そんな彼らの一人がエドワード神父です。
ある時、エドワード神父は父親の葬儀へ出席するために
法務省に、フランスへ行き・葬儀後の日本への再入国を申請をしました。
法務省は、押捺しなければ、日本への再入国をさせないと強要しました。
エドワード神父は、葬儀出席のために泣き泣き指紋を押しました。

 20数年前、川崎のメーデーのデモ行進に向かって、
川崎駅近くで、大きな十字架を掲げたエドワード神父が
「日本の労働者、もっとガンバレ」と叱咤激励していました。

 2013年のクリスマスイブに、浅田カトリック教会の
敬虔な信者から手紙が来ました
「フランスへ一時帰国していた神父さんは
アルツハイマー型認知症で入院しました。
結局、永久帰国になってしまった・・・」。
私は川崎が暗くなると、悲しくなった。

信者の手紙にはこうも書いてあった
「呆けるという生理現象は・・・肉体の老化
(老衰)と一緒で、本人にとっては別に悲
しむべきことではない・・・」。
落込んだ、私は少し救われた。

又、その手紙によると
「兄上のSigismond神父は、週に1回お見舞に行ってます・・・」
クリスマスに病院のエドワードさんへ年賀状を出しました。
「川崎は、エドワード神父のいる町から
エドワード神父のいない『普通の町』になりました。寂しい」。
まだ、返事はありません。

 1980年代以降、私はキリスト教の宗教者と交わった。
その結果、私の考えはこうなりました。
「宗教は信じられないが、宗教者は信頼にたる」。

連絡先(兄上)

Père Edouard BRZOSTOWSKI

c/o Père Sigismond BRZOSTOWSKI
48 rue,Général de Gaulle
89320 Cerisiers
      FRANCE

連絡先(病院)

Père Edouard BRZOSTOWSKI

c/o 7,Place Emile Blondeau
89210 BRIENON SUR ARMANCON
   FRANCE

張さん。実はあなたからのメールに住所を消してくれとあったので、メモもせずすぐ消しました。消してからどうしようかと思っていたところです。
ありがとうございます。

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Re: 和田さんは西瓜だ

>  私のパソコンはインターネットに繋がっていません。
> ですから、インターネットを頻繁に見ることができません。
> 久し振りに和田さんのホームページを見ました。
> 「エドワード神父のこと」、貴方の配慮に深く感謝します。
> 文章が多彩ですね。そして、分かりやすく面白い。
> 枝川の朝鮮学校の文章には驚かされました。
> 「この人は何者か!?」
> しかし、貴方のホームページを注意深く読めば、思想・信条等が分かります。
> 「文は人なり」。
>  私が朝鮮青年同盟川崎支部の専従活動家の頃の話です。
> 先輩が「林檎ではなく、西瓜になれ」と言いました。
> 【注】林檎―表面は真っ赤だが、中身は白い。
>    西瓜―表面は緑と黒の斑だから分からないが、割ると中は
> 真っ赤。
> 私は先輩の言葉は朝鮮独特の言葉だと、ずっーと思っていました。
> が、つい最近読んだ本で外国でも通用していると知り、大いに笑いました。

Re: Re: 和田さんは西瓜だ

> >  私のパソコンはインターネットに繋がっていません。
> > ですから、インターネットを頻繁に見ることができません。
> > 久し振りに和田さんのホームページを見ました。
> > 「エドワード神父のこと」、貴方の配慮に深く感謝します。
> > 文章が多彩ですね。そして、分かりやすく面白い。
> > 枝川の朝鮮学校の文章には驚かされました。
> > 「この人は何者か!?」
> > しかし、貴方のホームページを注意深く読めば、思想・信条等が分かります。
> > 「文は人なり」。
> >  私が朝鮮青年同盟川崎支部の専従活動家の頃の話です。
> > 先輩が「林檎ではなく、西瓜になれ」と言いました。
> > 【注】林檎―表面は真っ赤だが、中身は白い。
> >    西瓜―表面は緑と黒の斑だから分からないが、割ると中は
> > 真っ赤。
> > 私は先輩の言葉は朝鮮独特の言葉だと、ずっーと思っていました。
> > が、つい最近読んだ本で外国でも通用していると知り、大いに笑いました。

ありがとう。まだ未熟なものです。
エドワード神父に手紙を書かなくてはと思いつつ先延ばしにしています。

「宗教はアヘン」 終

      「宗教はアヘン」 終

 '85年、李相鍋(川崎青丘社)が指紋押捺拒否をしたので逮捕されました。
李相鍋の逮捕が大きく報道された頃の出来事です。
当時、私は「指紋押捺拒否闘争」は時期尚早と考えていたので、指紋押捺拒否をするつもりは無かった。
 李相鍋の逮捕直後、私は初めて「指紋押捺拒否の集会」へ出席しました。
地元の川崎市桜本町の小さな集会でした。
会場に、白人が一人いました。
“こんな集会に、外人も参加するのか”と驚きました。
それがマキシム神父です。(私は浅田町にカトリック教会があるのも知らなかった)
 数日後の夜更け、私は台所で歯磨きをしていました。
台所の窓ガラスを叩く音に、窓を開けました。
皮ジャン姿のマキシムさんが寒そうに立っていました。
マキシムさんは、その夜の会議終了後、私をオルグするために来宅したのです。
マキシムさん「急に決まった明日夜の集会に出席してほしい・・・」。
私「必ず出席します」。
私「マキシムコーヒーが無いからネスカフェコーヒーです」。二人でインスタントコーヒーを美味そうに?飲みました。
そして、マキシムさんはオートバイに乗って浅田教会へと帰って行った。
'66年~'79年、私は朝鮮総連の活動家でした。
だから、オルグ活動の辛さは身に染めていました。
“こんな寒い夜に、私のために訪ねてくれた”
余りにも嬉しかったので、彼に手紙を書きました。
今でも、この文言だけは憶えいています。
「キリスト教の坊主はただ者では無い」
そして、私は逮捕を覚悟の上で指紋押捺拒否をした。

追記 昨年12月、病院のエドワード神父に年賀状を出しました。
今年1月、兄上のSigismond神父の自宅に手紙を出しました。
6月13日現在、返信はありません。
今迄、私がクリスマスカードを出すと。
エドワードさんはクリスマスカードと年賀状を送って来るほど筆まめでした。
“手紙は、返事が来るから出す訳では無い”

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Re: 閉止の提案

>  年初、私は「エドワード神父のこと」のホームページを1年間閉止しないで下さいとお願いしました。
>  エドワード神父は返事を書けなくなった。
> もしかしたら、手紙を読むこともできなくなった?
>  6ヶ月間。十分、気が済みました。
> 「このホームページは6月30日を持って閉止すること」を新たに提案します。
> 和田さん、ありがとうございました。
> 貴方のホームページは価値が高い。
張さん、
マキシムさんのこと、いい思い出ですね。
私にとっても彼は、本当に真面目な懐かしい人です。相模原教会へ行ったあと、その後どうされたんでしょうかね。あなたのホームページ閉止とか、私には意味がわからないんですが・・・・・・・

   「宗教はアヘン」 余禄

 カトリック浅田教会の敬虔な信者から又、手紙が来ました
 「今年5月下旬、神奈川のエドワード神父に教えを受けたり、共にカトリック労働者運動【ACO】アセオを担った信者さんたちがフランスを訪門しました。
 病院のエドワードさんを見舞い、日本語で会話を交わしました。
訪問者たちの名前はともかく、そのお顔や姿を覚えていらして、親しく抱き合い・握手を交わされました。
 どうやら、日本語の手紙なども読めるようであったが、エドワードさんが返信をしたためることはできない様子だった、とのことです・・・」
 これで、私も一安心しました。
 みんなも、12月には病院のエドワードさんにクリスマスカードを送ろう。

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