差別を煽るのは最低最悪

大阪高裁が、「在特会」に対し差別を煽る者に、表現の自由はないとの判決を出した。当然である。

以前、部落民を特定する出版物を買ったと、モービル石油は解放同盟に糾弾された。いわれなき部落民としてレッテルを貼られ、就職や結婚で差別され、貧困に喘いだ人たち。貧しさから逃れようとする努力を水際で潰す。出版の目的はそういうことだ。そんなものを買うとはなんということだ!
社会はそういう差別を許さないようになったものと思っていた。無意識でしゃべっても被差別者が拒否感を持つことは、言い方を変えよう。そういう風潮になった行き過ぎというか、おかしな流れもないわけではない。盲フランジはBFとなった。言葉の言い換えはくだらんとは思う。竹田の子守歌のようなきれいな歌も放送から流れなかったが、それはおかしいんじゃない?

最近のヘイトスピーチは全くなんということか。朝鮮人・韓国人を糞味噌にいい、挙句は死ね、殺せ。それを公然と大久保の街中をデモするのだ。品性なし。下品な輩の野放しに対し、今度の判決は当然ながら断罪した。差別はいけない。差別を煽る自由は許されない。

組合も「ヘイトスピーチとレイシズムを乗り越える国際ネットワーク、乗り越えネット」に加入した。その団体から御礼の手紙が来た。その中に気になることが書いてあった。
・・・・・・日本社会はヘイトスピーチに対する批判の声が少しは聞こえるようになった。しかし、まだ力が弱く、カウンター活動(抗議活動)をしている人への嫌がらせのため孤立感が心配される・・・・

たぶん現代は誰もが生きにくい。余裕がまるでなくなり、異質なもの、下位と目される人を差別することによってしか、己を誇るしかない。そういう者たちがいる、ということではないか。
共同性とか連帯という、普通の感情が大手を振るうようにしたい。
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