辺野古に行ってきた

18日の午後便で那覇に飛び、南西石油労組の大会を激励し、19日は辺野古に行った。20日は辺野古で大規模集会が開かれたが、11時すぎの飛行機で帰ってきた。食料品買い出しのように、今回もリュックは重かった。
カメラにはメモリーカードが入っていず、写真を取れなかった。

土産物を買いに牧志市場に行っての帰り、県庁前には辺野古の集会参加者がバスを待って並んでいた。まだ9時半で11時出発だというが、150人。主催者の年寄りの方は、バスで皆運べるか心配だと言っていた。台風の影響はなさそうだ。「私は東京に戻りますが、がんばってね」。2泊3日のツアー券を買った後に抗議集会のことを知ったので変更しなかったが、どうしても言い訳めき、うしろ髪を惹かれた。

南西の組合は糠に釘のような対応をするブラジル資本の経営に腹を立てながらも、投げないで粘り強くやっていた。春闘は夏のボーナスがとりあえず2カ月出た、それ以外何も回答なし。それで青い腕章を巻いて春闘中。どうも赤い腕章に慣れているからおかしなものだ。
春闘要求を決めた4月の大会では議論がたくさん出た。へー、南西の皆も変わったなと思ったのだが、今回は以前と同じ、あまり議論がなかった。

2日とも彼らと夜遅くまで飲んだ。
委員長が交代した。春闘が決着しない中で悩んだようだが後進を育てる意味もあって・・・・・・と言っていた。なにしろ執行部の多くがEMからペトロブラスに売られて以降に入社した者たちだという。つまり5,6年の勤続。若い人たちを主体にしたいというのはわからん話ではない。
2年前に返上した「高圧ガス認定工場」の資格を取るために会社一丸になって努めていたが、METI審査はいい感触だったようだ。皆ホッとしていた。まだOkが出たわけではないし気を引き締めないといけないと言ってはいた。

4月に管理職になった者は賃下げだと泣いていた。ここでは扶養家族手当が管理職にはないとのこと。昇格して給与が1割上がっても、残業代もなく賃下げ。責任だけ増えたと、憮然としていた。
かわいそうに!
OUの看板を貸すから管理職組合を作って交渉したらいい、などとけしかけた。でも彼らの鬱屈感は深く、ヨッシャやろうという感じではもちろんない。

OUからは堺の宇田君も行った。来年堺工場50年、我が組合も50年だぞと言われた。
あーそうなんだ。私も宇田もいなくなれば、ゼネラル石油の組合としては実質解散。パーテイーをパーッとやろうか、それがいいなと話した。

19日辺野古に行った。南西の組合の方に運転をしてもらった。
海には海上保安庁の巡視船も抗議のカヌー船団もなかった。V字型の一方向の調査は終わったとかで台船は撤去され、赤いブイだけが海上を伸びていた。カヌーを引き上げていた人によると、先週11日には27人が保安庁に拘束された。今日はカヌーの補修日とのこと。

基地前の抗議座り込みに1時間位参加した。40人くらいいた。
名護市長が頑張っているので、工事計画の変更がいくつかあるようだ。しかし、県当局は非公開のまま変更を認めてしまう動き。そんなことをさせるか、県庁を1000人で再度抗議する、との話もあった
集会妨害に右翼が来てマイクで言っていた。「尖閣列島防衛のためには米軍基地が必要だ」「平和のためには基地が必要だ」と。
3時にはゲート前をデモしシュプレヒコールをした。多くが年寄り、大変だろうが意気軒昂だった。

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