we shall overcome

今朝の東京新聞に小室等のインタビューがあった。
we shall overcomeを最近歌っているが、その心は何かというもの。そうなんだ、ぼくにはストンとおさまる感じなので紹介する。
1960年代の、この反戦フォークソングがなぜなりをひそめたかと聞かれ、「あの時に描いた希望とは夢みたいなものだと気づいて、冷めたのかな」、足がついていない。呪文のようにウィーシャル・オーバーカムといってもその時は来ない。「歌う自分がだめだった」・・・・・・
久しぶりに今歌うことについてのためらいは?
「かってあの時代にこんな歌を歌ったよねというくらいでいいかな。でも、今歌うとしたらうさが晴れちやうというのではだめ」。うっかりすると憂さ晴らしになる。

でもなぜ今歌い始めたか。
学生運動の頃のように拳を振り上げて抗議する、それを再燃するというのではなく、「あのことをなかったことにしないために」歌うんじゃないか、という。「60年代に幼稚ながら思ったことを、なかったことにしないということかな。やろうとしなかった、やろうとしてできなった今の自分を見て、もう今さら間に合わないと思わないために」ウィ・シャル・オーバーカムを歌う。

ペシャワールでは学校が襲われ150人が殺された。何と理屈をつけようが許されるものではない。
香港の学生はとりあえず負けた。獲得目標が不明確だったからしようがない。中国共産党と争うには力の差がありすぎる。観光業や飲食店で働く、貧しきものを味方どころか敵側に追いやったのは誤りだ。でも、この経験を無駄にせず自由と解放のために生かしてほしい。
そんなことを考えて、高尾の南コースを5時間ハイキングした。
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コメント

和田さんには、ダークスーツのように労働者による労働のための企業改革及び、企業戦略まで健闘して欲しかったが、どうやら時間切れのようですね。
残念でなりません。
 
   
   余生のご健勝とご多幸をお祈りします。

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