労働運動は平和でなくてはできないんだ

私は労働組合の活動をしてきた。労働運動とは、平和とか環境保護とかそういうことを含めてやると思う。でも、最近は、組合が平和運動をやるとか原発のことを云々するのは、はやらないようだ。だからか、私もあまり政治的なことを組織内でいわなくなった。だって組合員の反応がない。肯定も否定、批評もしない。
和田さんの趣味、「どうぞご勝手に」という感じ。

半年も前かな、沖縄で友誼組合執行部と飲んでいるうちに、「プロ市民が米軍基地前でオスプレイ反対をやっているが・・・・」と聞いた。プロ市民なるものが右翼の側から批判的にいわれていることは知っていた。つまり、反戦市民運動を趣味のようにプロ的にやっている特殊な人、そういうことだろう。でも、平和が焦点の沖縄で、ショックだった。

労働組合は平和運動の主要な根拠どころか、いつの間にか職場における労働条件だけを問題にする組織になってしまった。あえていえば既得権擁護、非政治的に純化。
就職できずアルバイトをせざるをえない人たちのこと、非正規の人たちのことは眼中にない。他人なり、社会への関わりが失せた。17%しかない組織労働者、働く者全体からいえば稀有な存在だ。悲哀を糧にしている仲間たちが思う怨嗟、その想像力もなくなっている。

「官制春闘」どころか経済活性化、アベノミックス成功のための15春闘を、マスコミだけが騒いでいる。賃上げのための一人ひとりの労働者の思いとか、組合の戦いなどまるでない。法人税を減らしたんだからその分、賃上げをと麻生がいったな。翼賛体制にはめ込まれた御用労働組合。
派遣法やホワイトエグゼンプション導入の労働法の改悪に何もしないし、できないナショナルセンターの連合。

私は労働運動の現状に嘆きつつ、自分が関われるところでやる。労働法改悪の活動に「プロ市民」的にやるし、企業内では直雇用の社員化を要求し、あるいは地域のホームレス支援団体へのカンパをする。


私が通勤で通う京浜急行大師線の鈴木町で、あの、中一殺しの惨劇があった。川崎駅から2つ目、味の素の工場があるところ。川崎の清掃局の活動家が10年も前だが、おやじ狩りにあい、ぼかすかやられた、と聞いた。以前から川崎のガキは怖い、荒れているようだ。それにしても、よもやあのようなひどい殺し方をするとは。
隠岐の島から来た純朴な子供にとって荒れ野にきたようなもの。蜘蛛の糸にまとわりつかれどうにもならなかったんだろう。哀悼、それしかない。


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