土肥さんの遺影壊した

この2週間、OU川崎支部の組合事務所の整理を昼休みにやっている。今月中に会社に返還することにしている。とにかくビラ類が多いこと。見始めたらきりがないので心を鬼にして紐で結わえている。室内はほぼ終わり、物置も見ている。こちらもできるだけ身ぎれいにしておきたい。

土肥信孝さんの遺影が埃だらけになっていた。35くらいで自殺したのだが、写真は鉢巻をした横顔、若い。有機溶剤、有機鉛を扱うラボの仕事をしていたことによる職業病認定患者。脳中枢を侵された。争議中、溝の口独身寮の攻防戦というのがあって、寮を出ていた第2組合寮生が溝の口に「入れろ」と押しかけた。100人以上の管理職や第2組合員がやってきた。その時に、休職してパジャマ姿だった土肥さんに対し「ぶらぶら病」といったか「怠け病」といったか、罵声が浴びせられた。本人にはきつかったんだろう。

入寮を阻まれたから、その夜からOU組合員は第2組合員に取り囲まれ「会社を出てけ」と小突かれた。業務中にもかかわらず管理職は見て見ぬふり。多勢に無勢、とにかく耐えた。

OU追い出し作戦は2週間くらい続いた。金玉を蹴り上げられた事件で警察に告訴した、あるいは執行委員会中に暴行の知らせがあり計器室に役員が乗り込み、つかみ合いをした。これを契機に会社のOU追い出し作戦は終了した。争議の終了=全面和解の2年前のことだ。

土肥さんはそういう状況を心配し、そのうちにノイローゼになり、自殺した。葬儀は暑かったので寮のことから3カ月後だったか。電車に巻き込まれても顔は残っていた。義眼が恨めしそうだった。参列者大勢の中で、ぼくら組合員はインターナショナルを歌い送った。
遺影は今でも堺支部には飾ってあるはず。川崎支部は、たぶん組合事務所が移動した時に物置に隠したのだろう。
写真の顔はいつまでも昔のままだ。

私は、遺影を「燃えるもの」のゴミ袋にいれた。40年昔のこととはいえ心苦しい。次々とごみは増えるが、遺影は30㎝角でかさばる。何とも気になって、これを引っ張り出しけっからかし、ベニヤ板の小片にした。写真も破れた。川崎支部の店じまいとなって、ごめんよ。

10日午後、労使フォーラムがあり、その夜、懇親会があった。本会議には出席しなかったが、この飲み会には出た。「和田さんがいなくても委員長と副委員長のお二人、しっかり質疑や考えを述べていましたよ」と聞いて、そりゃー当然さと嬉しかった。
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コメント

労働争議の事はもう昔話になってしまいましたね、会社側に付きご褒美に管理職の座をもらい、それが常習化し組合役員=将来管理職になり本音で労働者の権利を守るために動く人が嫌気をさしてしまいました、労働者の権利が平気で脅かされる時代になり、それに異を唱えないおかしいとも思わない時代になってしまったのでしょうか、タイムスリップして昔のメンバー達がいまの現状を見てどう行動するんでしょうか、仲間がいると出来そうな気がしますね。

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