牡蠣をたらふく

今日は宮城県の牡蠣を食べるぞと、子供や孫に呼んだ。東北の大地震でつぶれた松島の牡蠣復活に頑張っている人を応援に行ったのは3年前。長石商店が元気にやっているというので、昼頃に届くように頼んだ。

長石のかき
生ガキを少し食べた後の写真、1箱5000円、2箱を買った。生ガキはあっという間に食べた。芳醇な牡蠣ミルク。白ワインが合う。真空パックになったむき牡蠣が残った。

年末に、東北全労協という左派系の労働団体から、長石牡蠣の注文書が封筒で送られてきた。何の説明文もなく、ただ注文書のみ。長石商店というかその後の牡蠣業者なり、東北の再建について少しでも説明があればよかったのだが・・・・・・・・それで私は友人たちに牡蠣販売を紹介する気もしなかった。

年末、三浦アルプス縦走後、横須賀駅近くで広島牡蠣の食い放題に行こうということにしていたが、2月開店でまだやっていないことが分かった。残念ながら、牡蠣の話は流れた。
そういえばと、長石商店の牡蠣のことが思い出され、本日の牡蠣パーテイーとなった。
牡蠣を食うことで震災支援になれば、それもいいか。

楽しい本を読んでいる
山本義隆「私の1960年代」を読んでいる。東大闘争については、皮相的なことしか知らなかった。当時のガリ版刷りのビラが資料にあり、老眼鏡を外し、読んでいる。文章にエネルギーがあり、建前でなく、当局への本物の怒りに説得力がある。
60年安保世代が雌伏してきた、院生や助手、青医連が、東大闘争の中心であった。東大反戦会議という活動家の集団を組織していた。それが大学闘争の司令部であった。
王子野戦病院の戦いは三派全学連が軸にあったにしても、たくさんの「群衆」が参加したという。ベトナム戦争をやめさせるためにと思う者が一人ひとりやってきたのだ。それは、ノンセクトラジカルといわれた、党派でなく、一人一人が考え行動した。これが東大や日大闘争そしてべ平連となっていった。活力ある、時代の息吹を久しぶりに感じている。私もその端くれだった。

こういうのを読んでいると、俺が今やっていることは何だ。秋闘での会社回答にフザケルナと怒っても、変える力もない(組合のホームぺージに組合ビラがある)。非正規雇用を何とかせよ、そういいながら力関係が違うと弱気になる。何だ!スカみたいな敗残者ばかりじゃないか、今は・・・・・・・・・・・そういっちゃいけないよ。俺自身も時代の中にいるんだから。

「赤い高粱」は面白かった。中国の現代小説だから、当然、抗日戦争もあるのだが、そして残虐な場面は読むに堪えないけれど。だけどそういうことと違って、感心した。4000年の中国の大地とそこに生きている人々の逞しさ。黒い大地に高粱がどこまでも広がる。秋になると実が赤くなる。それがパーッと赤く染める。人間は大地と一緒になって生き、死んでいく。曾祖父、曾祖母・・・そして私。とんでもなく格好のいい、素敵な祖母と祖父の物語だ。
高粱は、子供の頃、浜松では夏砂糖棒といった。冬砂糖棒は小笠原といって、こちらは砂糖をとるものだから甘いが、高粱はほんの少ししか甘くなかった。小学校帰りに畑の夏砂糖棒をポキット折って、くちゃくちゃやったことを思い出した。

やーやー、飲もう
昨日も新宿で飲んだ。夕方6時20分に落ち合うことにしていた。私は6時に着き、寒風の中、待っていた。ところが奴は約束の時間よりも遅れた。パチンコで稼ぐつもりが、5000円を損していた由。
一回り私よりも若く、今は自動車会社の設備管理の委託会社の責任者。相変わらずエネルギッシュで、以前より太っていた。

C:和田さんも65歳、勤め最後ですか。ご苦労さんでした。
W::いやいや、組合専従を終えて復職して、あんたにはご迷惑をかけました。もし貴方でなかったらそのままやってられなかったかもしれませんなー。
C:JX統合と大変なことがありますね、組合の方はどうするの
W:そうなんだよね、統合と思わぬ事態。組合の方は1年続けるけど、無理せず、まー自然体で。

結構飲んで、過栄養になるラーメンも食べてしまい・・・・・・赤羽のフィリピンパブに行きましょうという奴の誘惑を振り切って、池袋で下車した。

明日は房総の低山ハイクだ。
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プロフィール

和田 伸夫

Author:和田 伸夫
全石油ゼネラル石油労働組合の事務局長をしています。
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