明日は大阪だ

野井孝仁君の定年退職を祝うOUの組合飲み会が、明日大阪であって、それに行く。
74年、彼とはゼネラル石油精製同期入社で、入社して1年直前で御用組合から第1組合OUに一緒に鞍替えした。彼は高卒の18歳、私は大卒で23歳。学卒の和田が彼を誘ったとみられた。
当時ゼネ石精は、労使紛争中で会社はOU解体の勝負をかけていた。4階建ての溝の口寮がOU拠点で、がら空き状態。新入社員の第2組合員はそこから遠い青葉台の借り上げ寮に住んでいた。溝の口の方が職場に近いので、みんな青葉台から移りたかった。溝の口寮に統合する計画がOUに隠密裏に進められ、青葉台にいた我々もそういう情報の中にいた。
OUの反発を粉砕する、そのために管理職を含め社員総動員体制が決められ、その決行日は3月1日。その前日2月28日、私と彼は組合を変わった。当時はOUに変わるなんて、大変勇気がいることだった。私はこれまでの仕事をその午前中に取り上げられた。昼飯のチャイムが鳴ったら第2組合員が取り囲み、「お前なんて会社をやめろ」と怒号された。私を助けに来た横山好夫OU事務局長は倒され、肋骨骨折を折った。

まーそんなことがあったし、溝の口寮制圧作戦に失敗した会社の組合攻撃はすごかった。毎朝、職場で第2組合員に取り囲まれ、管理職に嫌味を言われた。ひどかったのは交替勤務。少数の組合員が夜間つるし上げられ、暴行もされた。窮余の策、警察に告訴をし、職場ファシズムを止めた。そうした攻撃に耐え、3年後の78年に組合は11人の解雇撤回の和解解決ができた。

野井君は大阪の出身であり、その後、堺工場に移った。そして、私が事務局長で、彼が委員長を数年やった。
彼には再雇用をして組合活動をしてもらいたかったが、厄介な病のためそうもならず、この2月定年退職した。
私は、治療優先だぞと助言した。

走馬燈のような思い出ある。明日は、宴会前に室生寺によって行こうと思っている。
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コメント

室生寺はいいですね。土門拳が写真集「古寺巡礼」に仏像、五重塔等をおさめています。学生時代と東亜燃料和歌山工場勤務時」、よく訪れました。

いろんな歴史があったんですね。

あの頃は「正義」が有ったように思います、今はどうでしょうね?和解はしたものの会社の本質は変わってないように思います、時代と言われればそれまでなんでしょうが、あの頃の人達が今居たらどうなんでしょう?少しは「正義」が有るのかも。

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和田 伸夫

Author:和田 伸夫
全石油ゼネラル石油労働組合の事務局長をしています。
労働問題などに相談がある人は、遠慮なく連絡をください。

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