震度3であんなに揺れるの

沖縄平和行進を終え、きょう夕方に帰った。4日間の新聞を読んでいると、強い地震だ。すぐ屋外に出たら何やらギシギシ音を立てていた。おさまってテレビをみたら大洗の方が震源で5強、東京は3。それでもあんなに強いのか。熊本の人はずっと強い地震をうけ本当に大変だ。とりあえず川内原発は止めてくれ!

沖縄平和行進で歩いた
13日(金)から16日(月)まで沖縄平和行進に行ってきた。
暑かった/相変わらず基地だらけ、何も変わっていない/良く飲んだ
13日は時間があったので福州園にいった。中国のお庭だ。
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夜は南西やOU組合員などと遅くまで飲んだ。南西石油の組合員は逆境にもかかわらず「なんくるないさ」。沖縄文化なのか、大和の私などとは違う。

礎

14日、私は平和行進の南部コースを午後歩いた。東風平(こちんだ)運動公園から南風原町役場までの約10k。田園地帯なので人があまりいない。そこを本土の労働組合と地元の組合で300人くらいがデモ。手を振ってくれる人は少ない。
写真は摩文仁の丘の「平和の礎」。沖縄戦でなくなった人の名前が敵味方なく刻まれている。26万のうち16万が沖縄の戦死者(間違ったかもしれない)。何とも言えない気分になる。「ひめゆりの塔」記念館では、にわか看護婦に徴用された女学生の犠牲者の写真が並んでいた。あどけないこの子たちが・・・・と見ていると泣けた。

その夜は、前夜を倍した参加者で石油労働者は遅くまで飲んだ。
県民集会
15日、平和行進最終日で3つのコースから新都心の公園に集まり、県民集会の打ち上げである。
われわれ北コースは、南西労組の旗を先頭に、首里城周辺を歩いて新都心まで。3,4キロってとこか。新都心周辺は米軍基地返還のところ、返還前は50億円の税金だったが、今は36倍の1800億円はいる。決して沖縄は米軍基地に依存して食っているわけではない。むしろ足かせである、とのこと。

集会は2500人。辺野古の新基地建設反対の結果、現在、国と県は和解交渉中で工事ストップだ。これに油断せず、建設を断念させ、基地の県外移設のために戦おうという挨拶が続いた。

私は、集会途中で中座し、読谷村の当真嗣清さん宅に行った。彼は琉球自立の活動家であり、世界中の原住民の連帯活動をしている。前から時間をつけて行こうと思っていた。
沖縄人のもつ日米、特に大和への奴隷根性批判は手厳しい。5.15沖縄返還に対しては冷ややかだった。基地付き返還だと抗議しているが、そんなことわかっていたはず。立川基地闘争など本土では戦いがあった、その結果、沖縄に基地移転してきただけ。懐柔され、長いものに巻かれる県民性が現状の基地の島にさせてしまった、と自己批判されていた。

16日は趣里城や金武町の石畳を観光し、土産物を買って、空港で乾杯をして飛行機で帰ってきました。
以上
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