満州はとにかく広いですねー

5月28日~本日6月3日まで旧満州の満蒙開拓/義勇軍の慰霊旅行に参加した。
長野県のJAあづみ旅行センター企画の11人のツアー。1週間、とにかくバスでの長旅。ブロイラーのような生活=バスに乗り、朝昼晩と飯を食い、酒を飲み、うつらうつらする毎日であった。
中国の急速な成長、どこまでもどこまでも広い沃野、重い重い戦争犯罪の遺産・・・・・・・・・・退職してのんびりできた.

大連
1日目、大連空港は大きい。これからハルピ向け新幹線駅に行くバスを待っている。

旅程は以下の通り。            今日はこれだけ
28日:大連からハルビンへ新幹線を待っているところ。
29日:ハルピンから西の安達へ。大慶油田の手前になるところで、この辺りは湿地帯のためアルカリ土で耕作不能。そこに開拓団生き残りがお詫びを兼ね、農場に20年前防風林を植樹した。そこを見に行った。
30日:ハルピンから西の方、方正の日本人墓地へ。ここで開拓団避難民がたくさん死い、その慰霊碑がある。日中関係のギスギスした関係を反映し、慰霊しづらく感じられた。亡くなった方を慰霊することくらい保証してほしいな、と思った。
31日:牡丹江(ハルピン西)からロシア国境の東寧の日本軍要塞跡地に。要塞の一部を歩いた。要塞建設に現地の人が働かされ殺された。万人抗にたくさんの遺体が埋められたが、ここには時間の関係で行けなかった。東寧要塞の記念館は戦勝資料館が隣接。「国の恥を忘れるな」のプロパガンダは理解できるが、その宣伝臭が強すぎた。前日の日本人慰霊碑と重ねるとよけいに
1日;ツアー団員の多くがあずみ市の人であり、「南安曇郷開拓団」の現在を調べる旅でもあった。当然ながら・・・・・・村を守るトーチカ跡があり、それ以外何もなし。村の年寄に聞いて、日本人がいたところはあのあたりにあったね……畑と林だけたった
2日:ハルピン西郊30キロの731分部隊記念館。ここは昨年新館となり、とにかくきれいだ。ただし、旧資料館は日本軍が証拠隠滅し損ねた建物だったとのことで、その意味では生々しさがなく「、悪魔の飽食」の勉強をしている感じがした。
夜は黒竜江省の外務省の副部長の招待で歓迎会。
ハルピン駅近くのホテルなので駅舎にある安重根烈士記念館を折る遅くに行った。記念館上の時計は、伊藤博文を撃った9時半になっていた。
3日、朝早くから帰国。12時には新潟についた。
田舎の道を走る
30日の日本人慰霊碑をみて牡丹港のホテルに戻る車中で。道路の両側はポプラ、田んぼがどこまでもどこまでも広がっていた。

以上+
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コメント

満州国の運営やノウハウが戦後日本の復興のノウハウに役立ったと聞いたことがありますが歴史の皮肉ですね

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