名古屋での戦没船を記録する会

「民間戦没船員の記録展」が、名古屋の「ピースあいち」で5日から15にかけて開かれている。
9日には、朝鮮戦争への米軍兵站支援を日本がやった生き証人である、当時のLST船員の報告があった。海員組合のOBである篠原さんが展示作用に携わっており、私もこれを聞こうと3泊目の旅の最後に名古屋へ行った。

制海権、制空権をアメリカにとられて以降、日本の商船や漁船はにわか軍艦にされて大変な犠牲を受けた。展示会にあった資料によると、6万人の軍属が死亡した。これは徴用船員の半数近くにのぼる。そしてその3割が20歳未満のにわか船員であったというから特攻隊のようなものだ。。
戦争での商船破壊
戦没者の多くは船と一緒に犠牲となったので遺族には何もはいっていない白木の箱が来ただけ。遺族にとってはどうして死んだのかもわからず、たまらないものがずっと続いたに違いない。
だから、展示会では船の写真とそれがどのように撃沈したのか、その報告を載せている。それを食いいるように見る人たちが何人もいるそうだ。

戦没船

三ノ宮克己さんは調布の市議を長いことやってこられ、今90歳だ。
戦後、朝鮮から帰国したら福岡は焼け野原で驚いた。朝鮮では爆撃が何もなかったという。帰国事業に携わり、戦地からの軍人や民間人を連れ戻す船の航海士をやった。一段落したのちは米軍支援のLST(戦車揚陸用艦艇)で荷物を朝鮮に運んだ。戦争経験をした乗組員は船長以下みんな戦争加担に反対したが、政府から米軍指示に従えと命令された。当時反対し乗船を拒否したら、沖縄送りだった。
戦争初期に元山に運んだ米軍部隊は全滅した、と後から聞いた。
仁川上陸作戦にも参加した。
幸い、自分たちは被害がなかったが、元山港で機雷にふれ20人死んだと聞いた。

三ノ宮氏はその後、船から離れ、結核の後遺症もあり、ペンキ職人に代わり、社会党の結成や市議の活動を通し平和のための活動を続けてきた。

延べ8000人の機帆船操縦や港湾労働者を含め戦争に参加し、少なくとも56人が死亡した。米軍支配下にあったため、かん口令がしかれ、今なおその規模や犠牲は明らかにされていない。

「ピースあいち」は、3階建ての建物を有するNPOで、展示に行政からぐちゃぐちゃ介入されるようなことはない。専従は少ないが、100人近くのボランテイアで運営しているとのこと。愛知県の平和運動や社会運動のネットワークだ。

その後、場所を変え、船員や「ピースあいち」の方と一献。
なだしお事件の近藤船長と高専で同期だった方とお会いした。公正裁判を求める運動を展開してくれてありがとうと感謝された。

後は賢島のホテルからのスケッチと熱田神宮の大クスの写真で終わり
賢島

熱田神宮の大クス







スポンサーサイト

コメント

参院選の結果、これで憲法改正要件が揃いましたね。残念ですが、民主主義国家なので仕方ありません。
しかし、とはいえ、実際の運用をきっちりと国民は監視していく必要がありますね。ナチスも戦前の日本も合法的手段でしたから、これからが大切ですね。
しかし今の若い世代は自民党支持が多いのも、世相を示してますね

選挙前は、アベノミクスの是非を問う選挙だと煽っておきながら、改憲勢力が圧勝すると、途端に憲法改正に待ったを掛けるマスコミもどうしたもんじゃろのう。

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

プロフィール

和田 伸夫

Author:和田 伸夫
全石油ゼネラル石油労働組合の事務局長をしています。
労働問題などに相談がある人は、遠慮なく連絡をください。

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

最新記事
最新コメント
FC2カウンター
リンク