東京芸術大学「観音の里/祈りとくらし展」、いいですよ

昨日、友人に題記の展示会を聞いた。
琵琶湖の北、長浜の集落にはたくさんの仏像が住民に守られて存在している。これを上野公園の芸術大学で展示しているというのだ。長浜には竹生島を含め行ったことがあるが、小さなお寺の仏像を鑑賞できる機会はそうそうない。
開場10時、上さんと行った。
皆さん、ふくよかで暖かな顔立ち。その多くが平安時代からの仏像というから驚く。この地は戦国時代に、浅井支配下を織田がせめて、そのあとも戦乱があり仏像も大変な目にあった。住民は大事な阿弥陀如来を田んぼや川、池に埋めて守ったという。

「いも地蔵」(長浜市木之本町黒田にある安念寺)には驚いた。すごい。
平安時代10世紀のものだというが、仏さんのなりの果てのような、白アリに食われたんではないかという立像だ。顔も崩れている。こんなみじめな仏像は見たことがない。けども、じわっときた。その後の10世紀を住民が崇め、守ってきた、そして見る者には仏像として厳かに見れる。歴史の生き証人であると感じた。

長浜美術館の館長さんの話もきけた。話し上手な方だ。古文書を含め、湖北長浜は住民がお寺を中心に住民自治をやってきた地。ぜひおいでください・・・・・・・・説明写真が良かった。仏像を運び出すところで、それを心配そうに見守る地域の皆さんで・・・・・元のままおかえりくださいネ。

不忍,ハス

芸術鑑賞の後は、上野広小路近くの居酒屋で早めの一杯をし、暑い暑いと、不忍公園に行った。4月には何もなかった水面が、盛夏にはこの通り。古代ハスらしいが、。水面は見えず。ピンクの花がちらほら咲いていた。

相模原の知的障がい者施設の虐殺。絶対に許さない

労働というところからあの事件を考えると、石油の労働者がプラントに火をつけるようなものだ。そんなことはありえないのだが現実に、起きてしまった。
理屈はいろいろあろう。
自動車社会によって地球は汚染された。諸悪の根源・石油をなくせばいい。
しかし、そういうことは例え思っても、やらないよね。ところがやる奴がいた。自制とか常識の箍がなくなった。これは衝撃だ。
どうしたらいいんだ???

恵迪寮の同室の1年先輩は心優しい人で、障がい者学校の先生をして定年を迎えた。
相模原のあの事件に対し、さぞ悲しんでいるだろうし、動揺しているんだろうと思い、メールを送った。
想像した通り、怒っていた。良い文章だなと思うので、そのまま添付する。


毎日新聞の木曜日夕刊に 福島ふくしま・智さとし氏(盲聾者として初めて大学に入学。東大教授)の論評が乗っていました。
 沢山の人の論評の中で、私の心情にもっとも近いと思えるので論評の後半を抜き書きします。

・・・(前略)・・
こうした思想や行動の源泉がどこにあるのかは定かではないものの、今の日本を覆う『新自由主義的な人間観』と無縁ではないだろう。労働力の担い手としての経済的価値や能力で人間を序列化する社会。そこでは、重度の障害者の生存は軽視され、究極的には否定されてしまいかねない。 しかしこれは障害者に対してだけのことではないだろう。生産性や労働能力に基づく人間の価値の序列化、人の存在意義を軽視・否定する論理メカニズムは徐々に拡大し、最終的には大多数の人を覆い尽くすに違いない。つまり、ごく一握りの「勝者」「強者」だけが報われる社会だ。すでに日本も世界も事実上その傾向にあるのではないか。
 障害者の生存を軽視・否定する思想とは、すなわち障害の有無にかかわらず、すべての人の生存を軽視・否定する思想なのである。私たちの社会の底流に、こうした思想を生み出す要因はないか、真剣に考えたい。
・・・・・・(以上)

手をつなぐ育成会のメッセージが胸をうちます。

以下、認知症に怯える小生から。
「人間年取りゃ(みーんな)、障害者~」
何で、自分は人より偉いと思って生きるんだろう。俺もそうだったけど


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