カモシカの親子と遭遇

昨日は、最近では珍しく秋の晴天、行楽日和だった。
5人で大月の低山ハイキングに行った。通常のコースでは面白くないと、同好ブログを参考に道なき道で登ることにした。藪漕ぎというほどではなかったが悪戦苦闘して、結局稜線がわからず撤退した。山の中を3時間くらいうろうろした。徒労ではあったが、面白かった。
その途中で、カモシカの親子に遭遇した。小さい沢を私が先頭で渡った、そしたら後ろでバサッと水に落ちる音がしたので振り返ったら黒いイノシシみたいなのが2匹、大きいのは私の方に突進し、小さいのは反対方向に。イノシシに向かい、杖代わりの枝を構えたら、幸い、目の前を避けて逃げてくれた。
カモシカであった。シカと違って、どたどたする感じの走り方で、終わってみれば走る格好が笑えた。

レーニン「遺書物語」・・背教者はスターリンか トロツキーか<藤井一行>
在庫本を読んで減らすようにしている。その1つ
ロシア革命を成功させたレーニンが、もし病で倒れなかったらスターリン独裁による革命の変質は避けられたに違いない。悪魔のようなスターリンによる独裁は、社会を暗黒にし、2000万ともいわれる大粛清をもたらした。そして今日の社会主義崩壊、資本主義の地球一元化をもたらした。

どうしてレーニンはスターリンに書記長の椅子を与えたのか。党内の力関係があったのだろうが、大まちがいをなぜしたのか?
病の中で、粗暴なスターリンの交替を求めるレーニンの文書は公表されず、当のスターリンの管理下で封印され、適当な時期に自己批判でもってレーニン文書は無毒化された。本書の多くは、闘病中のレーニン最後の戦いが負けた経緯を明らかにしている。

私は、レーニンの死に際の戦いは知っていたし、一方の革命の立役者であったトロツキーはなぜレーニンの次の指導者にならなかったのか、レーニンの期待をトロツキーは避けたのか不明だった。もうちっというと、ある時まで主流派と争わず、党内がスターリン主流派に固まってから労働者反対派として正論で戦っても、時は遅かった。
本書に、私の疑問にトロツキーが答えていた。ユダヤ人が指導者になることによる当てこすりを避けたというのだ。
「屋根の上のバイオリン弾き」のロシアにあって、ユダヤ人は何度も部落の焼き討ちにあった嫌われ者だった。トロツキーの見解はナルほどそうだったのかと同情はする。が、それはないぜ、その逡巡が革命の変質をさせたじゃないかと思った。

新潟県知事選で柏崎原発視界に反対する候補が勝った。鹿児島に次いで朗報だ。
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和田 伸夫

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全石油ゼネラル石油労働組合の事務局長をしています。
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