満蒙開拓犠牲者を悼む、拓魂祭(たっこんさい)に参加した

昨日、満蒙開拓犠牲者を記念する拓魂祭に参列した。京王線の聖蹟桜ケ丘からバスで15分のところに173柱の開拓団や義勇隊の石碑が並ぶ公園で、毎年4月の第2日曜日、全国から関係者が集まる。
私は、篠原国男さんに誘われて初めて行った。

篠原氏は14歳で佐久から義勇隊に加わった。満州の北、国境近くで敗戦。未成年にもかかわらず員数合わせでシベリア送りにされ、2年。戻って船員になり、それから海員組合の部員協会の事務局をやった。ボリバー丸沈没(溶接不良で大型鉄鋼船が野島沖で沈没)や海自潜水艦なだしおの衝突事故などの海上労働問題、戦時中の戦没船の記録を関係者に知らせる活動をされてきた。

私は、25年くらい前、なだしお裁判を一緒にやったことから知り合った。現在89歳。

満蒙1

満蒙3

満蒙2
参加者は100人ほどで、経験者は高齢につき半分以下。2世や3世が多くなっているようだ。
この公園は開拓団の生き残りが高齢化し、運営維持できなくなり、東京都に土地を寄付し管理をお願いしている。

開拓団30万は沃野の地主になるとの甘言で行ったのだが、実際には現地の農民から耕作地を奪い、あるいは荒れ地の開拓であった。突然の敗戦で、集団自決や大変な逃避行で、10万人が死んだ。多くの残留孤児も発生した。

満蒙開拓平和記念館の館長と話を交わした。同館は10年前、長野県飯田市近くの阿智村にある。貧しく、満州で多く犠牲になったところだ。私の亡母はこの村の出身で、紡績女工として浜松に出稼ぎに行き、私は生まれた。阿智村には2,3度行ったことがある。そんな話をした。
なお、現在同村はトンネル工事で温泉が湧き、観光地になっている。・・・・・・・天皇・皇后が昨年は来られたが、同館は自前施設なので経営が苦しいとのこと、寄付をするからねと約した。、

篠原さんらの義勇隊の仲間は、10人ほどがいた。安曇野からは4人、早朝バスに乗って来た。
食事をしながら経験談を聞いた。腹が減った/シラミには参った/寒かったこと・・・・・・

安倍政権の下で進む、危険な政治状況を見るにつけ、満蒙開拓団の悲劇を絶対に忘れてはいけない。
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