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知り合いがなくなっていく

8日、沖縄の翁長雄志知事がなくなった。すい臓がんは怖い。67歳、私と同じ学年だ。沖縄自民党の幹部だったが、米軍基地の重圧をなくすためにと「オール沖縄」に変心。辺野古新基地建設に反対してきた。建設停止を見ることができず、沖縄の自立もあやしい、ここで死ぬのはさぞ悔しかったことだろう。私も残念無念である。
深く追悼。

組合OBの羽田野さんが亡くなった
10日、全石油ゼネラル石油労働組合の創設者のひとり、堺の羽田野建一さんが亡くなった。78歳。かねて肺気腫を患い、酸素ボンベの生活、顔を見せなくてはと思っていた。最近急変し入院されたようだ。

年末には、激励のつもりもあって夏ミカン(元の組合員・奈良さんの自宅でとれたもの)の絵手紙を送った。その返信に・・・・・・・・大胆なミカンの実に励まされました。ありがとう・・・・とあった。そして俳句2つ
*春一番 甘くて酸っぱい黄色の実
*車椅子押されて 日向ぼっこする

昨年11月26日の毎日新聞、「私の人生24句」に彼の作品が載っていた。その一部を転載する。
①期限2600年生まれ祖父歓喜
⑦18歳石油の世見越して製油j所に
⑪新天地夢見て堺製油へ
⑬70年公害に反対しストライキ
⑭仲間12人報復解雇きつかった
⑮苦節10年和解し復職12人

堺支部であった羽田野氏と川崎の私ではあまり交流がなかった。
組合員赤石岳で滑落し,その慰霊登山をした。他に北アルプスに2度同行した。
そして全石油が解散するときの大会で、われわれ分裂3単組(ス労、シェル、ゼネ石)が断固反対したのだが、関西地協の議長であった彼は解散反対の意思を示さなかった。それを若手の私は、無礼を承知で批判した。関西の地域支部の代表なんだからナーナーでやる、これが彼の性格。でも、私には我慢できなかった。今となっては懐かしいエピソードだ。

もっと生きてほしかったが、時代状況の中でやりきったのではないか。これで、弔いになるか
川崎のリュウゼツラン
JXTG川崎工場の150号地(昔のゼネラル石油敷地)でリュウゼツランが咲いたと、同僚からの写真を添付。50年60年に一度咲く5メートルにもなる。


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