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小林さん、懐かしいカーフェリーの船長が亡くなった

最近、私は絵手紙を知人・友人に出している。電話やメールで連絡を取る用件がないと、年賀状だけになっていた方に「・・・・元気?」と手紙を出すにはいい方法だ。下手な絵でもいい、ためらわずに出す。これが公民館での先生の手ほどきであり、忠実にそれに従っている。

中には返信があり、日本カーフェリー退職者からのものには
・・・・・小林佳孝さんが4月に亡くなり、土肥温泉で仲間たち20人で懐かしんだ・・・・・とあった。
1980年代だから30年ほど前、川崎の浮島コンビナートの先端に宮崎行きのフェリー乗り場があった。フェリーに制服自衛官を搬送することがわかり、海員組合の船内委員会では「戦争に加担するものであり、搬送拒否」を決定した。組合員として船内のとりまとめ役でもあった小林船長は船を出航させなかった。OUの川崎支部は桟橋に組合旗をもって激励した。自衛官の搬送は阻止したが、その後の弾圧で2人解雇された。われわれは、支援カンパや激励集会に参加した。

どのくらいかかったか?1年か2年?解雇撤回させ復職した。
定年退職後も海員養成の学校などに関わっていたようだが、最近は顔を合わせることがなかっ
た。7年前にガンとなり、春先76歳でなくなった、という。
最近では、フェリー会社の経営危機回避のために、緊急時の自衛隊人員・物資の運送が可能なように船員を臨時自衛官にする動きもあるそうな。太平洋戦争で犠牲になった船員たちの歴史、日本カーフェリーの小林船長たちの戦いが忘れられるのはつらいことだ。


野反湖から志賀高原に国境稜線を歩いた

台風20号が西日本を通過し日本海に出たころ、3人で24日の昼過ぎ、野反湖につきバンガローで泊まった。
野反湖畔
これは野反湖の岸辺

25日は、野反湖から志賀高原に向けての9時間コースの国境稜線を踏破する、ちょっと限界越えの山歩きである。5時から歩いて下山してタクシーに乗ったのが17時過ぎ。つまり結果としては12時間歩いたことになった。途中の小屋は崩壊しており使えない。山道の整備が一部なされておらず、藪漕ぎもした。最後の赤石山(2150mくらい)の下山では雷とにわか雨、3時過ぎで早、暗くなっていた。フラフラ、もうこういうのは無理だ。

その夜は地獄谷温泉へ。冬には猿が温泉につかるところだ。温い露天風呂なので、翌朝早くから、酒を飲みながらゆったり入った。
長野駅についたらサウナ状態であった。
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コメント

J社社外取締役

雑誌「選択」2018年9月号の見出しを紹介します。J社社外取締役:御用学者X氏はナンボのものかー銀行や放送改革で「素人ぶり」を露呈。

Re: J社社外取締役

> 雑誌「選択」2018年9月号の見出しを紹介します。J社社外取締役:御用学者X氏はナンボのものかー銀行や放送改革で「素人ぶり」を露呈。

太田弘子は竹下の同類というか子分で、今さら批判しても仕方がない、安倍の腰ぎんちゃくで規制改革の政府議長。そんな奴を社外取締役にする企業は恥ずかしい。

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