泣くなよ、和田伸夫

2週続きで日曜日スキーにいった。続いて10,11と小野木祥之さんの葬式と郡山へのバス往復。今日は疲れている。葬式司会のプレッシャーと長旅で、確かに疲れた。もう若くないからね。

でも自分では疲れの原因はそうじゃない、そういうことじゃない、と分かっている。全石油ゼネラル石油労組は終わったんだな、という寂寥感だ。

チャンチャラオカシイ、か
10日、小野木さんの告別式の後の、2次会でのやりとりが重たいのだ。組合の先輩であり、彼が委員長、私が事務局長を数年やった間柄だったのに、その人が組合創設者の葬式後の精進落としで、私を悪しざまにした。何とも後味が悪いのだ。彼が変節していることは重々承知だが、こうまで言うか。労組を引っ張った者が、そういっちゃ終わりだよ、誇りも何もないじゃないか。

彼は10年以上前、管理職になり、その後、定年前に早期退職した。だから組合につべこべいうことはないのだが、ある種の負い目があったに違いない。

私は、第1世代が去って、苦しみもだきながら、今でもOU組合の現役をやっている。ダメだとは思うが、まだ諦めず見果てぬ夢=石油労働者のネットワークつくりを考えている。そういう私に悪罵。もちろん酒が入って我慢していたのが弾けたに違いない。
「会社ともっと話せる間柄になるべき、多数組合と近づくべき、当時俺はそういった。和田、お前は組合を売るのかと反対した」「組合がどん詰まりになった今になって、当時俺がいったことをやろうとしている!へん、チャンチャラオカシイ、笑っちゃうね」

腹は立つが、日本人の転向論を感じた。戦前、日本共産党の佐野・鍋島の転向が典型だが、指導部は左から右に真逆に変わった。読売新聞の渡辺も戦後の転向者。
運動に壁を感じることはある。でも、正反対にいかなくても例えば30度くらい横向きになってもいいだろうのに、日本人は中途半端が嫌いな国民性のようだ。

「自分は組合一色だった。そうじゃない生き方をすることにした」ともいっていた。いい訳だ。組合活動をやるから好きな遊びが出来なかったか?そんなに打ち込んでいたの!!!そりゃー、争議中の短い期間は確かに重心はそちらにあったには違いない。彼は不器用な人だったのかもしれない。

「笑っちゃうね」と目を吊り上げて笑われた。でも私は会社におべっかをし、多数組合に擦り寄るつもりもない。勘違いするな。若かったら、立ち上がっただろう。

本当に楽しい酒じゃなかった。私を笑う、元ゼネ石労組の亡霊。ゼネ石労組の栄光をどうしたら次に残せるかと悪あがきを続ける私。やはり疲れるのさ。

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