1/3の住民が戦死した伊江島

11日午後便で沖縄へ行き、昨日13日の最終便1つ前に帰ってきた。動き回り、飲んだのでさすがに疲れた。
沖縄返還40年の5・15を前にした平和行進への参加だ。南西石油労組が「行進」前に伊江島での平和教育を計画してくれた。私にとって平和行進は初めて。
南西の皆さん、総勢20人を移動する大変なご苦労をかけました。ありがとう。

伊江島のこと
本部半島から5キロ、5000人ほどの島だ。屹立する城山172メートル以外はまっ平。1945年4月15日を前後して米軍上陸と日本軍防衛隊が激戦した。防衛隊には軍人だけでなく、住民が組織されていた。だから竹やりしかない住民が突撃する惨劇が起きた。米軍は機関銃だ。逃げ延びたガマでは集団自決。
アパシャガマ、150人の住民が集団自決した。
伊江島 艦砲射撃や機銃跡
当時10才、中学生だった宮里さんが昨日起きたように話してくれた。

伊江島では、3500人が死んだ。その内、住民が1500人。米軍捕虜になった住民3500人は慶良間の収容所に連れ去られ、2年間島への帰還が認められなかったという。

民宿「ぎぼ」に泊まり、伊江牛のバーベキューを食べ泡盛を飲む。宮里氏によると昔語りを話す機会は年2回程度という。もったいない。フェリーで修学旅行生がたくさんみたが、彼らは島の惨劇を知らずに旅行していくだけなんだろう。

13日の平和行進は北側コースを宜野湾市役所から加わった。500人くらい。5キロの炎天下歩いたが、日の丸右翼が街宣車でずっと嫌がらせ。
デモを見る町の人達は東京と同じく無関心、ちょっと意外だった。官公庁の組合ばかりで民間の組合の参加は本当に減っている。

3コースの行進団が集結し2時から県民集会。われわれはその途中で抜け出し、海辺でビールを飲み、そして打ち上げ宴会に・・・・大雨が降ってくる中を空港に向かった。
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コメント

沖縄視察お疲れ様でした。先日NHKの沖縄特集をTVで見ました。やはり至るところで銃弾や遺骨があり、素敵な観光地である沖縄の光と影を垣間見た気がします。戦後65年立ち、我々内地の人間のみならず、沖縄の方々にとっても風化しつつある戦争。これを若い世代に伝えるには、戦争経験者が存命のあと5~6年が勝負ですね。そして沖縄はまだまだ返還前を知る世代がいるので、なんとか基地問題を前進させたいですね。

伊江島に行けたのは良かった。
本土決戦の竹やり戦を実際にやったからなのだろう、犠牲も多かったし、その後の米軍の捕虜の扱いも厳しかった。2年間、島民は島に戻れず、収容所を出た後も本部や瀬底島など付近で日雇いで乞食のような生活をしたということだ。

そういう語り部をする宮里さんがいうには、話をする機会が年2回程度というからさぞ口惜しいことだろう。

土地を返せといえば借地料が上がってきた。返せの建前と不労所得の実利。その間に股裂きになっているんだ、きれいごとじゃないよ。ましてや子供、孫になったら利益だけ。醜いことになる。そういう話は「いいたくないが」と宮里氏は飲みながら、口重たく話してくれた。

伊江島に行くことを勧めます。

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プロフィール

和田 伸夫

Author:和田 伸夫
全石油ゼネラル石油労働組合の事務局長をしています。
労働問題などに相談がある人は、遠慮なく連絡をください。

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