また午前様の帰還に

川崎工場で、私が引き継ぎを受けている庶務関係の仕事、昨日がその請負会社の方々の最後の勤務日だった。有休が残っているのに、Aさんは私に仕事の伝授。物分りの悪い私に何回も何回も教えてくれるのだが、私は新鮮に、ハイ分かりました。

庶務の4人が居なくなり、かつ退職や別の職場に行く人などで座席が半減する。大幅移動だが、引継ぎ最中でもあり、バタバタだ。私は終業後に脇机=ロッカーやPC,電話などの移動を始めたが、移動先が引継ぎ作業中で受け入れ不能。とりあえず別の空席にまとめておいた。月曜日、Aさんが居なくなって初の仕事でもあり、極めて大変だ。空恐ろしい。定年後、よもやこんな目にあうとは思わなかった。

事務部のオフィス管理課(旧JF)の解散状況・・・・大体、これで最後というときは、終業時に上司が「皆さん・・」とよびかけ、その人の労をねぎらう。挨拶する場を設けるものだ。残る者が拍手でお礼をし、送り出す。しかし、今回はそういう発声もなく、個別に挨拶。去る者、残る者、みな「何でこんなことに」との思いがあって、不満を抱えた中での別れ。淋しい解散風景である。

これからハローワークで仕事を見つけるといっていたAさんには、「携帯電話をかけたら出てくださいね」と懇願しておいた。それはドウシヨウモナイトキニ、ネ、と釘を刺された。

私にとっての「空調の先生」はとりあえず2階の保全部に移った。3年近くお世話になった人。その引越しを手伝い、7時過ぎのバスで帰ったら、小島新田の駅前でなじみの空調業者人と会った。それで川崎で軽く一杯ということに。途中から一人加わって3人。夏以来の、空調業務をめぐる激変に振り回された憤懣やとりあえず3か月は「空調の先生」が保全で契約継続することになったことを喜んだ。

軽く飲むつもりが・・・・・・・京急品川を通り過ぎて泉岳寺まで行って、それから戻った品川はラッシュ。途中で、文庫本を落とした。山手線もラッシュ、でも座れた。目を覚ましたら新宿、これはヤバイと立った。池袋では東上線が15分待ち。てなことで軽く飲むつもりが午前様の帰還になっていた。

ということで、金曜例会、国会前での原発反対の抗議行動には行かなかった。

<怖い話し>
上さんが朝の通勤で見た話。
老人が空席に座ろうとしたら、傍若無人な若い男が押しのけて座った。老人は、そ奴に向かって「お前は中国人か、朝鮮人か」と静かに、にらみながら言った。不届きものはウルせーともいわなかった。老人は新宿で下車するまでずっとにらんでいた。
すごく不気味だったという。

怒りの矛先が他国民への蔑視というのは何とも困ったものだ。領土問題での周辺国の攻勢にフラストレーションを貯めているのだろうが悪い兆候だ。

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コメント

感謝の心を知らない方々に事務部門なんて務まるんでしょうか。見ものですね。
そんな部署では辞めた方も、かえって清々したと思いますよ。(^-^)

何だか殺伐とした雰囲気の職場のようですね。職場の送別会もなかったんですか。まあこんな感じじゃ送別惜別ってわけにもいかないのかもしれませんが…。
私だったら耐えられそうにありません。
和田さんが職場を明るくするしかないですね。仕事を覚えるのでそれどころではないですか。

一昔前は退職者を送る送別会は盛大でしたね、自分も退職するときはこんな風に皆に送られるのかと感じたものでした、それがいつの間にか「〇〇さんは最近見ないけど辞めたの?」って感じになりましたね、会社のクラブで盛大に先輩を送り出し、製油所長が退職者へ花束を渡し、退職者を乗せたタクシーを皆で見送る光景が懐かしいですね。

一昔前の事務部では仲のいい雰囲気だったと思いましたが、いつから変わってしまったのでしょうか?上司から労いの言葉なく、職場の皆さんに挨拶もできないまま退職された方の思いを聞いてみたいですね。

格好いいことを何も言えません。
悲しい情景をよくみること。私ができることはそれしかできなかった。管理者が優しい感性を持った人ならば、そして職場に反発する力があれば、拙速な圧縮計画の軌道修正ができたはず。残念ながらそうならなかった。

去るも残るも茨の道。わたしは残るほうだから、とりあえず引き継いだ庶務関係の仕事が継続されるよう努める。そして笑いが出る職場にできたらいい。

借金会社が今後、同じような荒っぽい変化を様々な職場で始めるのが予想される。そうならないよう警鐘を鳴らすのが私の責務だろう。

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