久しぶりに、鯨の尾の身

昨日は昼間から鯨の刺身を含め日本料理をつまんで酒を飲んだ。赤身や尾の身、久しぶりに、おいしかった。欠席者の分も食べた。
海員組合が華やかなころの活動家、中原厚さんの追悼会にお招きがあり出席した。4月に85歳でなくなり、献体をしたため遺体がなく葬式の機会がなかった、という。絵や詩をたしなむ芸術家。船舶部員協会の事務所で私が会ったのは30年ほど前、自衛艦「なだしお」と衝突した富士丸の船長の裁判支援活動をしたときだ。

彼の紹介を古くからの知り合いが報告した。
戸畑生まれ。予科練に志願し、特攻に行く直前に結核となり除隊し、一命をとりとめた。一方、実弟は船員としてフィリピンの島で亡くなった。船が沈没され、兵隊はその後移動したが、船員だけはなぜか置き去りにされた。住民に殺されたのか、餓えたのか分からない。戦後の船員運動そして沈没船の記録収拾活動は、弟の無残な死の解明をしたかったのだろう。長男に弟の名前をつけたのもその表れだ、という。
そんな話は始めて聞いた。当時は酔っ払っいの姿しか知らなかった。

竹中君とはこういう場でしか会わなくなった。私と同年令。組合運動で会社(太平洋汽船)に嫌われ解雇されたが、10年後復職した。彼の復帰応援を専従時代にやって、それいらいの付き合いだ。
今は内航タンカーで安く働かされていると、いささか自嘲的に以下の話をした。
1等機関士の免状があるが、定年後は「未組織船」乗務。出光チャーターの船で、苫小牧から北日本のターミナルに輸送している。9人乗りで船長、航海士はじめ、みなが70歳を越すとか越さない超老人集団、元外航船の職員ばかり。何せ人数が少なく、甲板作業は若手の彼が先頭でやる。例えば函館なら4時間程度でつき、やはりその程度の時間で揚げ荷を終え、そのまま苫小牧へ戻る。天候がよければその繰り返し。休みはない。台風が来てくれたら恩の字だ、と笑っていた。
勤務が3カ月、下船が1月、その繰り返し。乗船すれば月50万円ポッキリ、下船期間は10万円。乗船が遅れたら無給。権利も何もない世界だ。
彼は船員労働運動を何とかしたいと「羅針盤」という機関紙を出す中心メンバー。体が動く限りは現場で働くというのがモットーだ。でも、最近にょっとがたが来たというので「無理するなよ」と忠告した。


昼間の酒はきつい。家に帰ったら6時過ぎ。7時には寝た。そしたら夜中に目が覚めて・・・・酒は残り、鯨の刺身で腹は膨れ、生にんにくが気持ち悪く。勉強でもしようかと思ったが、起きたらおきたで眠くなり、また眠った。
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