沖縄の渡辺君が死んだ

昨日聞いた。
沖縄の辺野古で基地反対の船長をやっていた渡辺君が11日に亡くなった。沖縄では仲間たちが慰霊をした。神奈川でも県共闘中心に追悼会があるだろう。
渡辺氏はたぶん70くらい。私が入社したときには日本ユニカーで解雇争議をしていた。裁判で負けた後、横浜屠場に組合を作り・・・連れ合いが沖縄に行ったのでついて行き、抗議船の船長にもなった。この10年はガン治療で大変だった。根っからの活動家だ。

知り合いに渡辺が死んだってな、と聞くと、直前の2日の神奈川県共闘総会に沖縄から来て、ダイイングメッセージをした。
そのメッセージはこんな感じだった。
*本土で過激派活動家に適用されてきた弾圧が、沖縄では平和センターの山城議長レベルにかかった。
*オスプレイやヘリコプターが落下しても、政府だけでなく国民も平然としている。これが今日の沖縄をめぐる状況だ。
*ぜひ辺野古や東村に来て座り込んでほしい。そしてどうしたらいいか考えてほしい。

渡辺氏の連れ合いは数年間、争議中の全石油ゼネラル石油精製労働組合川崎支部の組合員であった。そういう関係もあり、懐かしい活動家だ。追悼!

<沖縄のことで>
組合員OBのF君は何度か辺野古の座り込みに参加しているのだが、9月に聞いた話。
土産で買った沖縄のタンカンを、団地の子どもたちにあげた。その翌日、お母さんがお礼をしながら、「沖縄では日当がおいくらだったのですか」といったそうな。特に右翼でもない普通の、化学会社1部上場の社員妻が、まじめに聞いてきたという。「そういうばかなことをいうんだったら、もうあなたとは話をしません」とFは答えた。
東京MXテレビが報じた「座り込みで日当」とか「中国人や朝鮮人が主導」といったデマ宣伝はこのくらい草の根に伝わっている。

東京新聞の夕刊によると、米軍ヘリが窓枠を落下した小学校に30件もの嫌がらせ電話があり、翁長知事が沖縄差別だと抗議した。予想されるデマ電話は、「基地のまわりに住むから悪い」「基地近くに小学校なんか作るな」そんなところだろう。
本当に情けない。

「獄友」の試写会

昨日、日比谷図書館の地下で「獄友(ごくとも)」の試写会があった。この映画製作の費用にと寄付をしていたので招待状が来た。。
死刑や無期に確定された冤罪事件の5人に語らせる。
狭山事件の石川さん
袴田事件の袴田さん
足利事件の菅谷さん
布川事件の桜井さんと杉谷さん、うち今も再審を求め闘っているのは石川さんと袴田さん。足利と布川は無罪放免になったが、杉山さんは最近病気で亡くなられた。この5人を通し、冤罪事件の怖さを淡々と語ってくれる。
石川さんは今も両親の墓参りをしない。せめて再審決定までは、と。仮釈放に応じたことへの口惜しさ、自分への憤りをいっていた。潔癖な純な人だ。
袴田さんは釈放されて3年。最近はランニングを始めた。
桜井さんは、自作の歌を歌って地元の人に感謝御礼の報公会をやった。いい声量だ。更生させてくれて、刑務所暮らしも良かったと余裕だ。
菅谷さんは、殺人事件のあった渡良瀬川?を歩きながら、「当日」のことを話した。警察から呼び出され、やっただろうと、どつかれ罵倒され・・・・「私は1日で自供した。だって耐えられないもの」

滋賀での看護助手による殺人事件も冤罪の可能性が高いと再審決定が昨日あった。自白の創作をデッチアゲとした。彼女はすでに服役を果たしている。無駄な時間が流れたことか。若くて大切な時間をいまさら取り戻せない。冤罪を繰り返させないために、「獄友」を多くの人がみてほしい。特に警察や検察、司法関係者は己の思い込みによる危なさを知るためにも見たらいい。

この会場入り口で、石川一夫さん達・獄友が来場者にお礼をしていた。狭山闘争では、いつも若い石川青年の写真だったが、今や78歳。150㎝くらいの小さなお年寄りだ。
ミーハーなものだから握手したいなと思い、「石川さん、ずっと無罪釈放のため応援してきました。頑張ってください」と私。「ありがとう。来年こそはとおもっています」と固く握手した。

風邪は気力を減退させる

週末から風邪をひき、何ともやる気が出ない。ほぼ治ったにしても、寝過ぎて腰が痛い。この2週、孫2人が風邪ひきさんで鼻水を出して、保育園を変わりばんこに休んだ。その世話で日中、何もできない。娘たち夫婦のためになって、役に立っているわけで、まーいいか。

沖縄の事故、リニア工事をめぐるゼネコン談合
スーパーゼネコン問題も、詐欺逮捕者が安倍のお友達であり、政府委員だとか。森友・加計問題もまだうやむや
いやな事件がまかり通っている。
日刊ゲンダイによると、安倍夫婦はユーミンのファンで、彼女のコンサートの常連、お食事をされたとか。
好きな歌手が汚されたようである。

明日19日は安保戦争法成立の月命日だ。風邪の方は良くなってきたし、夜の国会前には行けるんじゃないか。
倉岳山
11日に上野原にある倉岳山(992m)に行った。いつもは中央線で鳥沢から北側を登るが、今回は自家用車に乗せてもらってのハイキングなので南側から登った。富士山が聖霊といっていいほど間近にきれいだった。

<>読んだ本>
「武器輸出のニッポンでいいのか」池内了など4人の共著・・・・・・軍拡のすさまじい動き。そして武器輸出も閣議で解禁された。期待のオーストラリアへの潜水艦売りはフランスに負け、必ずしも輸出規制を改めてもうまくいってるわけではない。それよりも何よりも「死の商人」というレッテル張りを企業は恐れるという。まだ平和憲法の陣痛力はあるのかな。

日出づる処の天子は謀略か?」黒岩重吾(中公新書)
古代の小説を何本か書いているが、これは謎解き。
なぜ聖徳太子は中国への親書に「日出づる処の天子」から、日が落ちる天子に、などと挑発的な表現を使ったか。2つの挑発があって、日没=衰退と、日本は中国から見れば属国・倭であり「天子」を名乗ることはできない。
著者の見解は、当時の東アジア情勢の影響で、高句麗が中国に責められる寸前であった。また新羅と百済とも朝鮮内で諍い中。そういう中で高句麗から派遣された坊さんが入れ知恵をし、高句麗の裏に日本がいるという親書にした。謀略戦に巻き込まれた結果だという。
この文書の後、中国から猛烈な抗議があり、聖徳太子は政治の中枢から外れる。その後の山背皇子など一族の全滅につながった、という。面白い。


  

鎌田慧にも「泣き女」と批評したんだ、毒舌家の小野木さんは


東京新聞の12月5日号、「本音のコラム」に鎌田慧が「泣き女」との表題で書いている。

<鎌田さん
1日には大泉町の人権集会に行き、
2日は唐津で玄海原発再稼働反対の集会で講演
3日は高知で反原発集会に、
4日は那覇で山城博治裁判支援集会へ。
5日は辺野古の座り込みに行く。
と毎日活動されている。その報告の後に
県知事、市長、ほとんどの県民が反対しても工事を強行する首相はどこの首相なのか。若いころ、顔なじみの石油労働者から「鎌田さんは泣き女ですね」と冗談っぽく言われたことがある。・・・・宮沢賢治の「雨にも負けず」の精神は嫌いではない。


この石油労働者とは、たぶん、わが”全石油ゼネラル石油労働組合”の創設者である小野木祥之さんのことだ。生前、彼の鎌田評を聞いたことがあるが、まさか本人に向かって言ったとは!本人は今もって気にしているよ!

和田君!鎌田さんはさしずめ泣き女だよ。政府や企業がどんなにひどいか触れ回る。叫べば叫ぶだけいい。
小野木の毒舌批評は的を得ているが、(今日のように大衆運動が弱く、ジャーナリズムも爪を丸めた時代において)鎌田さんは絶対に必要な人だ。

小野木さんは峻別して厳しくものをいうひとだったので、組合員を含め周囲には彼を嫌う人がいた。私は、彼のいい面をまねしようとしたがとてもなれなかった。鎌田泣き女記事をみて、改めて小野木って奴はすごかったんだなと思う。

湯河原の秋山
北海道から長男が1週間帰ってきて、昨日戻った。ホテルの仕事は冬前が暇のようだ。2日、3日と彼の運転で一族郎党11人と湯河原へ行った。ホテルの前からみた山が紅葉できれいだった。
せっかくの旅行だったが、腹を下し、良い酒を飲めなかった。

4日には人間ドックに行った。簡易ドックなんで、小便と血液検査程度。背が最盛期の3センチも低く164㎝はショックだった。

本日は高尾げ。紅葉がほぼ終わり、人出は少なかった。晴天で良かった。

明日は、<労基法改悪反対>の集会が日比谷である。

カズオ・イシグロの「遠い山並みの光」を読んだ。戦争の後とか離婚したことによる激変。それにどう誠実に対処、悩むのか・・・・・前に読んだものとの関連でいうと、彼の関心は要するにそういうことなんかな。
中村文則「教団X」を読み始めた。これがまた、とんでもなく・・・・

「永遠のジャンゴ」見た

「永遠のジャンゴ」を有楽町の映画館で見た。
ジプシーギターをジャズ演奏した音楽家。1943年、ドイツ占領下のフランスでもジプシーがナチスに殺された。下等人種として。
映画に流れる素晴らしいギター演奏と無慈悲に弾圧されていくジプシーの集団、そしてレジスタンスに加わる若い同胞たち。戦争を辛くも生き残ったジャンゴが教会で、自作の「ジプシーレクイエム」を指揮する。それに合わせて殺された同族の写真=正面と横からの・・・何人も映し出される。この曲の譜面は散逸したそうだが、悲しい映画であった。

カズオ・イシグロ「浮世の画家」を読んだ。
ことしのノーベル賞受賞者なので、買った。戦後1947年から1950年にかけての日本のどこかが舞台。戦争に協力した画家が現在と過去の記憶を絡ませながら、戦争を主導的に推進したわけではないからな・・・・と言い逃れ合理化していく話。
実際にどうだったのか?本人の思い出が中心だからぼんやりして見えない。まー記憶なんていい加減だし、自分に都合の良い解釈をするものだ。そういう小説であった。

全石油ゼネラル石油労組のOBである、堺の羽田野建一(77歳)が11月26日の毎日新聞の「脳トレ川柳、私の人生24句」に載った。昭和シェル労組の知り合いから転送してくれた。
20171126毎日
彼は、組合創設の小野木さん横山さんと同期入社で堺支部長などもやった。私も登山に連れて行ってもらったことがある。最近は体調不良というので心配していたが、頭の方はしっかりされている。まだチョウにならないでね。

プロフィール

和田 伸夫

Author:和田 伸夫
全石油ゼネラル石油労働組合の事務局長をしています。
労働問題などに相談がある人は、遠慮なく連絡をください。

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